まさ’s blog

現役大学生の脳内へようこそ

差別・いじめ

こんにちは、まさです:)

 

今日は少し重ためな話です。

世の中の差別やいじめってなぜ起こると思いますか?

みんな同じ人間で、それぞれがただ生きているだけなのに人種や性格によってそれらが起こっています。

 

僕は差別やいじめが起きる原因は、「共感能力」と「知識・経験」の不足だと思っています。

 

共感能力に関しては容易に想像できるように、相手の感情や意見に寄り添うことができれば差別やいじめをもしした場合、相手がどう感じるかをイメージできるはずです。

言い換えれば自分に置き換えて考える力とも言えます。

幼少期に「自分がされて嫌なことは相手にしないようにしましょう。」と教わりましたね。これも共感性を鍛える一種のトレーニングなのだと思います。

 

では、知識・経験についてはどうでしょう。

食事のマナーを例にとります。基本的に日本では出された料理は残さず食べるのがマナーです。しかし、中国では少しだけ残すほうが満足したことを表すとしてマナーが良いとされているようです。

そうすると日本人と中国人で一緒に食事をした際、お互いの文化を理解していなければ相互にマナーが悪いと思ってしまうのも当然です。

この場面において相手の文化に対する知識を持っている場合、自分が生きている文化にとらわれることなく寛容になることができると考えられます。

 

そのためこの2つが十分に揃えば、差別やいじめが大きく軽減されると思っています。

 

 

またさらにステレオタイプも知識・経験と関連して差別等の原因のひとつであるいえます。

ステレオタイプとは、日本語では固定観念思い込みなどと訳されることがしばしばあります。

 

そもそもステレオタイプは悪いことではありません。人間が日々の生きて行く中でできるだけ判断力を維持するために、物事を単純化したほうが省エネだからです。

例えば、血液型がA型の人は几帳面だと聞いたことがありませんか?

実際には血液型と行動や性格との間に相関関係はなく、どの血液型であろうが人それぞれ性格が違います。でも一般的にそのような思い込みが世の中に浸透しているように感じます。

 

このような”この集団に所属している人はこうである”という決めつけが、一個人を判断する際に悪影響になる可能性ありますし、それは宗教や国籍にも大きく影響されていると思います。

ヴィーガン思考の人は過激派”だとか”イスラム教徒は怖い”だとか、一部の人が起こした事件等がピックアップされて注目を浴びた集団は悪いレッテルが張られます。そしてあたかもその集団全員が悪いかのように思われてしまいます。

僕の友達の中にイスラム教徒がいますが、心優しく忠実な人です。

 

自分の中での固定観念を捨てたいのであれば、自分で体験しながら知識を収集するのが一番だといえます。

反日で有名な韓国ですが、今まで僕が出会い、会話してきた韓国出身の人たちはみんな日本が好きで日本語を勉強しているくらいでした。

 

 

結果的に何が言いたいかというと、あくまで持論ですが「共感能力及び知識・経験の不足によって”自分と違う”相手を許すことができずに差別やいじめをしてしまう」ということです。

みんな人間ですから、感情もあればそれぞれ嫌いな人もいます。自分とそりが合わないという相手がいるのも当然です。

しかしながら、その相手が持つある一定の考え方が嫌いでも、その人間全体を否定する必要はないように思います。