まさ’s blog

現役大学生の脳内へようこそ

成長する人とそうでない人

こんにちは、まさです。

 

久しぶりに最近感じていることを書きます。

僕はほぼ毎日のようにゲームをするのですが、そのゲームを僕は約7年間くらい続けています。対戦ゲームで5対5のいわば陣取りゲームなのですが、そのゲームにはランクと言ってプレイヤーがどれだけ熟練しているかを示すものがあります。当然、ランクが高い人は高い人同士で対戦するようになっています。

しかし友達グループでプレイしようとすると、ランクに差が生じて低いランクの人でも高いランクの相手とマッチするようになってしまうこともしばしばあるわけです。

僕のランクは普段一緒にプレイするグループの中では一番高く、ほかの人たちは自分たちより強い相手に当たります。かといって自分も法外にランクが上位というわけでもないので、そこまで大きな差はないはずです。

ですがグループの1人は毎度、「僕がそのグループにいるせいで上のレベルの人たちに当たり、結果その大戦で負ける。」というようなことを言ってきます。その人の言い分もわかります。ただ自分がその立場なら、強い相手はどのようにプレイしていてどのようなテクニックを使っているかを学ぼうとするはずです。

 

ここで何を言いたいのかというと、もし本人が本当に勝ちにこだわり上達したいと考えているならば、僕のせいにするのではなく自ら学ぶべきということです。人間という生き物は、自分は十分努力しているが周りの影響でその努力の成果が見られないなどと、ほかの何かのせいにして言い訳を作ることによって自分を正当化しようとします。これではいつまでも成長は感じられないでしょう。

 

もちろん僕も怠けるときはあります。時間がないことを理由にしたり、忙しいことを理由にして新しいことを始めようとしなかったりします。そのたびに先延ばしにするのはよくないなと思っています。ただ自分の失敗等を他人のせいにしたり、責任を押し付けたりするのは少し違うのではないかと思ってしまいます。

 

また年齢を理由に行動に移さないということもよく聞きます。ある研究では脳は鍛え続ければ成長しを続けるとわかっています。

僕の20歳の誕生日に、兄からのお祝いメッセージに対して「20過ぎたらもう老いていくだけだよ」と冗談めかしく返信したとき、兄から「人間は努力することをやめ、学ぶことをしなくなった瞬間から老い始める。それまでは成長だよ。」と言われたのを今でも覚えています。

 

ほかの要素のせいにして努力をする辛さを避けていると成長しないということは、つまり言い換えると成長するには茨の道をすすみ時には痛みを伴うということです。ただし一般に、努力したからと言って成果に結びつくのか、いつ実るのかも不確かですが、成功している人は必ず努力しているなどといわれています。

いつまでも成長し続けられるように努力していきたいものです。